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大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)5788号 判決 1972年3月30日

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(原告)

一、被告らは、各自原告に対し、金五、八三九、九九〇円およびこれに対する訴状送達の翌日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決および仮執行の宣言。

(被告ら)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。との判決。

第二、請求の原因

一、事故

原告は次の交通事故により傷害を受けた。

(一)  日時 昭和四四年二月二八日午前九時一〇分ごろ

(二)  場所 大阪市西区堀江通三丁目二九番地先道路上交差点

(三)  加害車 普通貨物自動車(大阪四め三六―三四号)

右運転者 被告小川篤志

(四)  被害者の事情

足踏自転車乗車中

(五)  態様

原告が足踏自転車に乗つて本件事故現場交差点を東から西へ進行していたところ、同所を西から南へ右折進行してきた被告小川運転の加害車が右自転車の右側面に衝突して原告をはねとばしたもの。

(六)  傷害

頭蓋骨骨折、脳挫傷、頭部捻挫、右眼瞼部裂創等右受傷のため昭和四四年二月二八日から同年四月一二日まで、同年一〇月一六日より同月三一日まで、昭和四五年一月二一日より同年二月一六日まで七七日間入院し、また、昭和四四年四月一三日より同年一〇月一五日まで、同年一一月一日より昭和四五年一月二〇日まで、同年二月七日より同年三月三〇日まで通算三一九日間通院し、それぞれ治療を受けたが、異常脳波、知能低下、球後神経挫傷、一部視神経委縮による顕著な視力低下の後遺症が残つた。

二、責任原因

(一)  運行供用者責任

被告株式会社いの子屋(以下被告会社という)は、加害車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

(二)  使用者責任

被告会社は、自己の営業のため被告小川を雇用し、同人が被告会社の業務の執行として加害車を運転中、後記の過失により、本件事故を発生させた。

(三)  一般不法行為責任

被告小川は前方不注視、交差点先入車無視の過失により本件事故を発生させた。

三、損害

原告は、本件事故により、次の損害を蒙つた。

(一)  療養費

1 治療費

牛嶋歯科 金八六、〇〇〇円

松田神経科 金一〇五、五五〇円

同医院での治療費は金一〇八、九六〇円であるが内金一〇五、五〇〇円を請求する。

北野病院 金五、一三〇円

大野病院 金二一八、二一〇円

2 入院雑費 金二三、一〇〇円

入院七七日につき一日金三〇〇円の割合による。

3 付添費 金七七、〇〇〇円

入院期間七七日中一日につき金一、〇〇〇円の付添費用を要した。

(二)  休業損害

原告は、父後藤貴一が代表者であつた後藤織布株式会社に勤務して、一ケ月金九〇、〇〇〇円の給料を得ていたが、同社が昭和四三年三月頃倒産したので、その頃から失業していたけれども、その後、同社の機械設備を引継いで三陽繊維株式会社を設立することになり、昭和四四年三月に同社を設立して、同月一五日から、昭和四四年三月に同社を設立して、同月一五日から原告の実弟国彦が代表取締役、原告が取締役に就任する予定であつた。そして、右就任の場合、原告の役員報酬を月額金九〇、〇〇〇円とすることに定められていたが、本件事故による受傷のため就任不能となり、昭和四五年一〇月末頃まで全く稼働できなかつた。従つて就任予定日から一九ケ月半一ケ月金九〇、〇〇〇円の割合による休業損害額は金一、七五五、〇〇〇円となる。

(三)  逸失利益

原告は本件事故により労働者災害補償保険級別七級四号該当の後遺症を残し、軽易な労務に服することができない状態にあり、従つて、労働能力は五六パーセント喪失し、その期間は八年間継続するものと考えられるので、その得べかりし利益の喪失額をホフマン式計算により中間利息を控除して算定すれば、金三、四〇〇、〇〇〇円となる。

(四)  慰藉料 金二、〇五〇、〇〇〇円

請求原因一の(六)記載の傷害の内容、程度、入・通院状況、後遺症の程度等からすれば、慰藉料は金二、〇五〇、〇〇〇円を下らない。

(五)  弁護士費用 金四〇〇、〇〇〇円

(六)  損害の填補

原告は被告会社より金一、〇三〇、〇〇〇円、自賠責保険金として金一、二五〇、〇〇〇円の支払いを受けたので、これを右各損害金の内金に充当した。

四、よつて原告は、被告らに対し、前記三(一)ないし(五)の合計金八、一一九、九九〇円から前記三(六)の金二、二八〇、〇〇〇円を控除した金五、八三九、九九〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、請求原因に対する答弁および主張

一、請求原因一の(一)ないし(五)、二のうち、事故の具体的内容、被告小川に過失があつたとの点を除き、その余の事実、三の(六)の事実は、いずれもこれを認め、一の(六)は不知、三の(一)ないし(五)はいずれも争う。

二、示談

昭和四五年二月八日、被告らは原告との間で、訴外原告の損害を金一、九四九、七六八円(自転車修理代金二、四七〇円、治療費金九一七、二九八円、休業補償費ならびに慰藉料金一、〇三〇、〇〇〇円)とし、なお、原告の後遺症補償については原告が別途自賠責保険金を請求してこれを受領する。との内容の示談が成立し、被告らにおいて右の各金員の支払をなしたのであるから、本件事故による損害については既に示談により解決ずみとなつているので、原告の本訴請求は失当である。

三、過失相殺

仮りに右主張が認められないとしても、本件事故発生については原告にも過失があるので、過失相殺されるべきである。その際、原告の自認する以外に右のとおり自転車修理代金二、四七〇円、治療費金九一七、二九八円の支払いがなされているので、右の点が斟酌されるべきである。

四、損害額について

原告は後遺障害等級七級の後遺症が残存していると主張するが昭和四五年一月当時、精密検査によるも他覚的所見は認められず、自覚症状として頭重感を訴えていたにすぎないのであるから、右の後遺症のあることを前提にしてなす原告の請求は理由がなく、また、原告は本件事故当時失業中で、事故時のかなり以前より正業に就いていない状況にあつたので、休業による損害、逸失利益が生じたものとはとうてい考えられない。

第四、右主張に対する答弁

一、示談について

被告ら主張の示談は有効に成立していない。即ち、昭和四五年二月七日、被告会社代表者藤田重信および保険会社の代理店の者と称する訴外久世芳徳が原告方を訪れ、自賠責保険金請求の際に使用される示談書用紙を示し、原告に対し、保険金請求のためのみに使用するから同用紙の第一当事者側欄に原告の住所氏名を記載して押印するように求めた。そこで、原告としては、自賠責保険金の請求の手続のみに使用されるものと考え白紙の用紙に記名押印して前記藤田にこれを交付したのである。ところが、同月一七日、藤田らが再度原告方を訪れた際、持参した示談書に被告ら主張の如き内容が記載されていたので、原告の予想をはるかに下廻る金額で示談がなされたことになることを虞れ、原告において、かような示談を締結する意思のなかつたことを申し入れ、示談書の返還を要求したところ、藤田らがこれを急いで持ち去ろうとするので、一枚の用紙の端を掴むと藤田がこれを強く引張つたため、用紙の端が破れたこともあつたほどである。このように被告ら主張の示談は原告の真意に基づいてなされたものではなく、有効に成立していないので、効力が生じない。

二、原告が被告会社より被告ら主張の自転車修理代、治療費の支払いを受けたことを認めるが、右は本訴請求外の損害金に充当したものである。

第五、証拠<略>

理由

第一、請求原因一の(一)ないし(五)、二のうち、事故の具体的内容および被告小川に運転上の過失があつたとの点を除き、その余の各事実は当事者間に争いがない。

第二、事故態様、過失

<証拠>によれば、本件事故現場は、道路の幅員が九メートルの東西道路と、八メートルの南北道路の交差する信号機の設置されていない交差点内であるが、被告小川は加害車を運転して東西道路を時速約二五キロメートルで西から東へ進行し同交差点を南へ右折しようとしたが、右折の方向指示をなして同交差点の手前四ないし五メートルの地点にさしかかつた際、同交差点内を東から西へ進行している足踏自転車を認めたが、同自転車が左折するように感じたので同交差点に入りかけた直後から右折しはじめたところ、同自転車が同交差点内南北道路の中心線の延長上付近を西へ直進しているのを右前方五、五メートルの地点に認め、急制動の措置をとつたが及ばず加害車の右前部を同自転車に衝突させ自転車もろとも原告を転倒させた事実が認められ、右認定に反する被告小川篤志本人尋問の結果はたやすく措信しがたい。右事実によれば、被告小川は、同交差点を右折進行しようとしたのであるから、あらかじめできる限り道路の中央により、交差点中心の直近内側を徐行して対向車との安全を確認する義務があり、また、同交差点内を直進している被害車があつたのであるから、その進行を妨害してはならないのに、交差点進入地点から直ちに小廻りして右折し、かつ、被害車が左折するものと速断してその動静に充分な注意を払わず進行したものと認められるので、同被告に運転上の過失のあつたことは明らかである。被告らは原告にも過失があつたと主張するが、本件全証拠によるも原告に本件事故発生につき特段の責められるべき事由があつたものと認めることはできず、本件事故は被告小川の一方的な過失によつて発生したものと認められる。

以上によれば、被告会社は加害車の運行供用者責任および被告小川の使用者としての使用者責任、被告小川は不法行為責任をそれぞれ免れることはできない。

第三、示談について

一、<証拠>によれば、次のような示談書が作成されていることが認められる。

示談当事者   原告と被告会社

立会人 湯川良一、久世芳徳

示談書作成日 昭和四五年二月八日

示談内容

(一)  加害車の所有者である被告会社は原告に対し本件交通事故による損害賠償として金一、九四九、七六八円を支払つた。

①自転車修理代金二、四七〇円、②治療費金九一七、二九八円、③休業補償費ならびに慰藉料金一、〇三〇、〇〇〇円。

(二)  後遺症に対する補償は原告が自賠責保険金の被害者請求手続をなし、これを受領するものとする。

(三)  当事者双方は右の条件をもつて一切円満に示談解決することを約し、今後いかなる事情が生じても異議申立をしない。

二、<証拠>を綜合すれば、被告会社は、原告が大野病院での第一回目の入院を終え退院した昭和四四年四月中旬頃、原告から一ケ月金九〇、〇〇〇円の生活保障費の支払いをなすよう要求を受け、原告の提出した給与証明をもとに一ケ月金八〇、〇〇〇円の割合で生活費を支払うことになり、以後その支払いを続けていたが同年九月頃、原告が失業中で本件事故当時およびその後も失業保険金を受領していたことが判明したので、失業保険金支払分を差し引く旨を申し入れたところ、原告が第二回目の入院をしたため、被告会社といわゆる任意保険契約を締結していた保険会社と相談し、その紹介で保険代理業を営んでいた訴外久世秀徳に原告との示談の交渉を依頼したこと、訴外久世は同年一〇月二〇日頃から原告と示談交渉をはじめ、同年一二月頃には原告の父親とも話し合つて原告が失業中であつたのに毎月金八〇、〇〇〇円の生活費を支払つていたことなどを説明し、原告側においても示談に応ずる気運が高まつていたので、その後数回原告と交渉した結果、昭和四五年一月末頃には示談を締結するように話しが運び、原告において同月中旬頃、示談締結までに最終の検査と診断を受けるため第三回目の入院をなし、これによつて後遺症の程度、内容が判明すれば原告が自賠責保険金後遺障害補償費を被害者請求によつて受領することにし、被告側は右の第三回目入院前までに支払つた治療費、生活費、自転車修理費合計金一、九四九、七六八円を右の後遺症による損害を除くその余の損害金の支払いにあてることにし、退院後の同年二月八日、原告方において、被告側は被告会社取締役訴外藤田肥功および訴外久世秀徳、原告側は原告および原告方階下に事務所を持つ近藤企業(いわゆる債権取立などをなす暴力団関係団体と思われる)の輩下の訴外湯川良一の四名が集り、前記一記載の示談書に原告が署名押印をなしたことが認められる。そして、<証拠>によれば、原告は立命館大学理学部を卒業後、原告の父貴一が経営する後藤織布株式会社の大阪出張所長として勤務していたが、同社が昭和四三年三月に倒産したためその後は同社の残務整理にあたり、本件事故当時は失業保険金の給付を受けて生活していたこと、本件事故のため請求原因一の(六)記載の傷害を受けて事故直後より大野病院に入院して治療を受け、昭和四四年四月一二日に症状が軽快して退院したが、同年一〇月一六日、頑固な頭重感を訴えて同病院に一六日間再入院し更にその後前記のように昭和四五年一月二一日より一七日間入院して脳血管撮影、脳室撮影、脳波検査等を受け、検査結果では特段の異常は認められなかつたが、頭痛、両側上肢のしびれ感等を強く強く訴えていたため、同病院において、労働者災害補償保険級別一二級該当の後遺症が残つた旨の診断がなされた(乙第四号証、昭和四五年二月二〇日付診断書)こと、そこで原告は自賠責保険金の後遺障害補償の被害者請求手続をなし、同年三月一〇日、同級別一二級にあたる金三一〇、〇〇〇円の保険金を受領したが、右の後遺症の判定に不服であつたので、その頃、大阪大学医学部付属病院の検査を受け、これをもとに再度大野病院で後遺症の診断を受けた結果、頭重感著明で特に天候に左右され、騒音により頭痛が増強するため労務に服しえないとして同級別九級該当の後遺症がある旨の診断がなされた(甲第二号証、昭和四五年三月三一日付診断書)こと、その後、難波査定事務所に足繁く通い、また、北野病院、岩崎医院、高階医院等で診断を受けて後遺症の判定を求めていたが、同年五月頃同査定事務所から松田神経科・内科を紹介され、同病院で治療と諸検査を受けた結果、精神に障害を残し軽易な労務以外の労務に服することができないとして同級別七級に該当する後遺症がある旨の診断がなされ(乙第六号証の四の一〇、昭和四五年七月一四日付診断書)、これにもとずき、同年一〇月七日、同級七級にあたる金一、二五〇、〇〇〇円の自賠責保険金の支払い(但し既に金三一〇、〇〇〇円の支払いを受けていたので、差額金九四〇、〇〇〇円)を受けたことが認められる。

三、原告は、示談に関する交渉は何らなされておらず、昭和四五年二月七日に訴外藤田と久世の二名が原告方へ白紙の示談書を持参し保険金請求手続に必要だからと署名押印するように求められたので署名押印したものであり、真実示談の意思はなかつたと主張し、原告本人は右主張に添う供述をするが、右はたやすく措信しがたく、また、何ら示談の交渉もなく突然白紙の示談書に署名押印するが如きは原告の学歴、経歴などからして極めて不自然であり、かようなことがなされたものとは到底考えられない。前掲久世秀徳の証言によれば、示談に署名押印のなされた以前に原告と訴外久世との間で合意されていた前記一記載の示談内容等署名欄以外の箇所を前記二月八日に被告会社取締役訴外藤田が被告会社において記入しこれを原告方に持参したものであることが認められる(この点については右認定に反する証人藤田肥功の証言は措信しない)ので、原告の主張は失当である。

四、以上によれば、前記認定のように原告と被告会社との間で、原告の後遺症による損害を除きその余の損害については既に支払いずみの金員をもつてあて、後遺症による損害については被害者請求によつて取得する自賠責保険金をもつてあてるとの内容の示談が成立したものと認めるのが相当である。そして、原告の後遺症の程度については前記のとおり、医師の見解にかなりの差があり、これを的確に認定する証拠に欠くが、<証拠>を綜合し、かつ、前記のように大野病院において当初後遺障害等級を一二級としながら、大阪大学医学部附属病院での検査の結果を考慮して九級と変更したこと(従つて同大学病院では九級程度の検査結果が出たものと推察される)などを考慮すると、原告の後遺症は後遺障害等級九級該当程度と推認され、そうならば、原告は後遺症補償についても過分な支払いを受けたことになり、前記のように失業中で失業保険金の給付を受けていたのに被告らから休業補償費の支払いを受けたことと考え合すと、示談そのものおよびこれによつて終局的に受領した金員は原告の本件事故による損害を填補するに余りあるものというべきであるから、右の示談の拘束力を原告に及ぼすことが特に苛酷であるということもできない。そうならば、被告ら主張の示談は有効に成立したものと認められる。原告は、示談書に署名押印した日が昭和四五年二月七日であると述べ、また、同月一七日に被告会社所持の示談書をとり戻そうと考え、訴外久世に持参させた示談書の内の一枚の端を掴んで破つたと述べるが、たとえそのような事情があつたとしても右の認定を左右するに足りず、他に右認定を覆えすに足る措信すべき証拠はない。

五、右示談は原告と被告会社との間で締結されたものであるところ、被告会社は被告小川の使用者で、被告小川が被告会社の業務の執行中に本件事故を発生させたものであることは当事者間に争いがなく、右示談において被告会社の負担した金額が金二、〇〇〇、〇〇〇円に近く、かつ、原告が被告会社の締結した自賠責保険より後遺症補償を取得するという内容であることからすれば、原告において被告会社との示談によつて本件事故による紛争を全部解決する意思であつたものと推認するのが相当であるから、このような場合、使用者(被告会社)との間の示談によつて、被用者(被告小川)の責任も示談内容の範囲内に減縮され、原告のその余の免除の効力は被用者にも及ぶものと解するを相当とする。

第四、以上によれば、被告ら主張の示談の抗弁は理由があり右示談によつて原告は被告らに対し示談金以外の損害賠償請求権を放棄したものと解されるので、原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく失当であり棄却を免れない。

よつて原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(吉崎直弥)

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